青山町は八割が緑豊かな「青い山」に恵まれ、昔から林業の町として栄える。昔から阿保(あお)村・上津村あたりから青山峠までを「阿保(あお)の山」と呼んでいたことが文献にも残されており、「青山」の由来となったといわれている。
阿保は遠い昔、阿保という所に住んでいた一族集団が淀川を溯り移住して現在の青山町阿保へ住み着き、そこを阿保と名付けたと考えられ、万葉の古歌には「阿保山之 佐宿木花者 今日毛鴨 散亂 見人無二(あおやまの さくらのはなは きょうもかも ちりみだるらん みるひともなしに)」と詠まれている。
青山町が生まれる前から、青山高原は関西の軽井沢と称され、ハイキングコースや避暑地として人気を集める。戦後、青山中学校を設立した頃から、商号や屋号にも「青山」が使われ、この地を「青山」とすることが定着する。
町名の「青山」は初瀬街道の青山越として歴史的に親しまれ、「青」は発展の意気に燃えて伸びゆく姿。「山」は高い理想を象徴するものとして、自然景観にぴったり合っているということで、昭和30年に新しい町名として選ばれた。 |
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