縄文時代早期の石器が槇山地区で見つかっているほか、阿山町でも縄文人が狩猟・採取の生活を営んでいた。円徳院の北中溝遺跡では、弥生時代の終わりから古墳時代はじめにかけての住居跡が見つかり、村の起源となる集落がすでに形成されていた。
古墳時代には、伊賀地方最古の東山古墳、宮山1号墳、御旅所古墳といった150基余りの古墳が河合川下流域の丘陵に造られた。
奈良・平安時代には、貴族や大寺院による荘園が営まれ、特に玉滝や鞆田地区では、奈良・東大寺の荘園として開発され、桃山時代には、茶陶の水指や花入が槇山や丸柱地区で焼かれ、現在も伊賀焼の産地として知られる。
阿山町の起こりは、江戸時代には藤堂藩に属し、明治維新後、廃藩置県により津県から安濃津県に改められる。明治5年に三重県が誕生したときには阿拝郡に属し、市町村制の実施により近隣の村と合併を繰り返し行い、昭和42年12月1日に町制を施行し、阿山町が誕生した。
平成16年11月1日、6市町村合併により伊賀市となる。 |
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