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◆墨坂神社 |
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●すみさかじんじゃ |
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●宇陀市榛原区荻原 |
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戦前には神武聖跡として賑わった墨坂神社は、「日本書紀」、「古事記」に、神武、崇神、雄略、天武各天皇の条に、名前がのこる古代の神社。おそらく大和政権成立とともに、国家的役割を担い、立派な社殿や社地に整備されたと思われる。
「万葉集」には、神武東征のおり、すでに祭祀されていた、天御中主(あめのみなかぬし)、大物主(おおものぬし)、高皇産霊、神皇産霊、伊邪那岐、伊邪那美の六柱の祭神を総称して、「墨坂大神」あるいは「墨坂神」とする、との記録がのこる。
「日本書紀」崇神天皇9年の条にみえる、国中に疫病が蔓延し悩んでいたとき、ある夜の夢に神人が現われ、「赤盾八枚赤矛八竿をもって墨坂の神を祀り、黒盾八枚黒矛八竿をもって大坂の神を祀れ」と告げられ、天皇がそのとおりに祀ると、直ちに疫病は平癒し、天下泰平となったとある。
「墨坂の神」が現在の墨坂神社の祭神で、「大坂の神」は香芝市逢坂の大坂山口神社の祭神とされる。 |
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●参考文献/高橋徹・岸根一正共著『奈良大和の古社寺』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』
●初書/2007-09-15-IT |
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