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粟原集落南端の天満神社境内とその隣接地に塔跡と金堂跡が残り、「史跡粟原寺址」の石柱が建つ。
寺史についてほとんど文献に見られないが、粟原寺建立の次第を刻んだ三重塔の伏鉢(ふせばち)が談山神社蔵として残っている。
その露盤の銘文によると粟原寺は、中臣朝臣大嶋(なかとみのあそんおおしま)が天武天皇の皇子である草壁皇子の菩提を弔うため伽藍建立を発願し、比売朝臣額田(ひめあそんぬかた)が694年(持統天皇8)から造営を始め、715年(和銅8)に完成したことがわかる。
起工が藤原宮時代、竣工が平城宮遷都後で、この場所に草壁皇子のための寺院が、なぜ建立されたかは謎とされる。 |
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●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』 ●初書/2007-09-14-IT |
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