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フェノロサが天平仏の最高傑作と絶賛した、木心乾漆の十一面観音を安置する寺として有名。また、ほがらかな表情の本堂本尊の子安地蔵石仏は、安産・子授けにご利益がある丈六の石仏である。
奈良時代の妙楽寺(現在の談山神社)の別院として、藤原鎌足の長男・定慧(じょうえ)を開基として建立したと伝わる。
平安時代に興福寺の僧兵に焼かれ一時衰微したが、鎌倉時代に慶円上人が再興に尽力、三輪にあった平等院遍照院を移したのが現在の寺院である。 |
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●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、佐藤昭夫監修『奈良大和路の仏像』、駒敏郎著『奈良の寺』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』、前川久夫編集『奈良大和路をあるく』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』 ●初書/2007-09-13-IT |
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