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『万葉集』以来、「隠口(こもりく)の初瀬」と呼ばれ、平安時代には「長谷詣」が貴族の楽しみの一つとなった。特に女性の信仰が厚く、「源氏物語」、「更科日記」、「蜻蛉日記」などに、長谷寺の記述が見られる。
創建については諸説あるが、686年(朱鳥元)に川原寺の道明上人が天武天皇の快癒を願い、銅版法華説相図(千仏多宝仏塔)をつくり、現在の泊瀬(はつせ)の地に祀ったといわれる。これを本長谷寺(もとはせでら)といい、現在の長谷寺は、727年(神亀4)に徳道上人が聖武天皇の勅により寺院の建立を発願、本堂に十一面観音を祀って、行基が開眼したのが始まりという。
仁王門から本堂までは長い登廊は、3回曲折しながら連なる約400段の石段は全国でも珍しい。
本堂本尊の十一面観音菩薩立像は、1538年(天文7)の作で重要文化財。観音菩薩と地蔵菩薩の両得を兼ねた独特の姿から、「長谷寺式」または「長谷型観音」と呼ばれる。
桜、牡丹(ぼたん)、アジサイ、紅葉など、四季折々の風情が感じられるお寺として、また西国三十三ヶ所第8番札所として、多くの参詣者が訪れる。
また、2月14日に行われる追儺会(ついなえ)、通称「だだおし」は特に有名。 |
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●参考文献/五木寛之監修『百寺巡礼』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』 ●初書/2007-09-13-IT |
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