|
|
|
|
1591年(天正19)に51歳で没した、豊臣秀吉の弟の豊臣秀長の墓所。大和・和泉・紀伊100万石を治め、大和郡山を拠点としていた秀長の遺骸は、この地に葬られた。最終官位が大納言であることから大納言塚という。
江戸時代に墓所は荒廃したが、菩提寺であった春岳院の僧である栄隆らの尽力により、1777年(安永6)に墓域が整備され、五輪塔が立てられた。現在ある五輪塔は、その時のものである。
毎年4月22日には、「大納言祭」がとりおこなわれる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
●参考文献/奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』 ●初書/2007-09-11-IT |
|
|
|