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北古墳と、そこから100mほど南に位置する南古墳のこれら2基をあわせて、水泥古墳という。いずれも埋葬施設は横穴式石室。
北古墳は、別名を塚穴古墳ともいい、直径約20mの円墳。
南古墳は、別名を蓮華文石棺古墳といい、直径約30mの円墳。石室内に2個の家形石棺を安置する。それぞれ六箇所の縄掛突起をもつが、南小口部の縄掛突起に6弁の蓮華文が施されている。瓦頭に使用されることが多い文様であるが、石棺に使用した事例としては全国唯一のものである。
この2基の古墳は、今木双墓(いまきのならびはか)と呼ばれ、蘇我蝦夷・入鹿の墓と伝えられてきたが、蝦夷・入鹿の墓とするには築造年代が違い、この地域からして被葬者は巨勢氏であると思われる。 |
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▽データ |
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所在地 |
御所市古瀬 |
古墳名 |
北古墳…塚穴古墳
南古墳…蓮華文石棺古墳 |
形式 |
両方とも円墳 |
築造 |
6世紀後半ごろ |
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●参考文献/河上邦彦著『大和の終末期古墳』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』
●初書/2007-09-10-IT |
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