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2基の三重塔は、古塔の双塔としては唯一の現存例である。中乃坊や奥院などの塔頭はボタンの名所としても有名。
寺伝によると、612年(推古20)に用明天皇の皇子麻呂子皇子(当麻皇子(たいまのみこ))が、河内国交野郡山田郷に二上山万法蔵院禅林寺として創建、その後、692年(朱鳥6)に瑞夢(ずいむ)によって、麻呂子皇子の孫の当麻真人国見(たいまのまひとくにみ)の手で現在地に移建されたという。
当麻寺は当麻真人国見に代表される当麻氏の氏寺として発展したが、中世には当麻氏が衰退し地方武士となってこの地を去った後も寺運を保てたのは、中将姫伝説と阿弥陀信仰が結びつき、有力な庶民信仰となったためである。
毎年5月14日に行われる聖衆来迎練供養会式は「当麻レンゾ」の名で親しまれる。 |
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▽データ |
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所在地 |
葛城市當麻1263 |
宗派 |
高野山真言宗、浄土宗 |
本尊 |
本堂…當麻曼荼羅
金堂…弥勒仏
講堂…阿弥陀如来 |
札所 |
新西国三十三ヶ所 第11番札所 |
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●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、駒敏郎著『奈良の寺』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、前川久夫編集『奈良大和路の古寺』 ●初書/2007-09-10-IT |
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