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聖徳太子建立48ヵ寺の一つとされ、現光寺、比蘇寺(ひそじ)、吉野寺(よしのじ)と呼ばれたこともある。
奈良時代には多くの碩学(せきがく)の僧が住み、清和・宇多天皇の行幸、藤原道長の参詣、後醍醐天皇の行幸などの記録もみえる。
創建時の寺は南面する伽藍で、東西両塔をもつ薬師寺式の配置であったことが、今に残る塔跡の礎石や南大門跡などによりわかる。
現在、禅宗の世尊寺が、かつての講堂跡に建っている。 |
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●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』 ●初書/2007-09-10-IT |
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