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高取山(583.9m)山頂にあり、南北朝以来、越智氏、本田氏、植村氏の居城であった。
1580年(天正8)、織田信長の大和一国破城令にしたがって破却された。1584年、筒井順慶によって復興。その翌年には豊臣秀長が大和に入国、郡山城とともに高取城も重視、秀長の命により本田正俊が本格的な修理を行った。
高取城の築城用石材として、飛鳥地方の古社寺の礎石や石造物が運び込まれ、それらしき石材が石垣にみえる。 |
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●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会研究部会編『飛鳥散歩24コース』 ●初書/2007-09-07-IT |
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