明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 野口王墓古墳、阿不幾乃山陵記、天武天皇、持統天皇
◆天武陵・持統陵 ●てんむりょう・じとうりょう ●明日香村野口
檜隈大内陵(ひのくまおおうちのみささぎ)に治定されている古墳で、687年に築造がはじめられ、天武天皇を埋葬、703年に火葬された持統天皇を合葬したとされる。
江戸時代には、天武・持統陵は、五条野丸山古墳(見瀬丸山古墳)に治定されていた。野口王墓古墳が1235年に盗掘された石室の様子を詳細に記した『阿不幾乃(あおきの)山陵記』が、明治13年に京都栂尾(とがのお)の高山寺で発見されたことを契機に、明治14年に野口王墓古墳を天武・持統陵とした。
▽データ
所在地 高市郡明日香村野口
古墳名 野口王墓古墳
形式 八角形墳
●参考文献/河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、河上邦彦著『大和の終末期古墳』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会『飛鳥散歩24コース』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、外池昇著『天皇陵の近代史』、来村多加史著『風水と天皇陵』  ●初書/2007-09-05-IT
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