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◆五条野丸山古墳 |
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●ごじょうのまるやまこふん |
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●橿原市五条野町、見瀬町 |
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丸山古墳、通称、見瀬丸山古墳、近年では五条野丸山古墳と呼称される。
全長318mの前方後円墳。後円部の一部が畝傍陵墓参考地として宮内庁の管轄化にある。全国で6番目、奈良県内では最大の大きさであり、古墳時代後期に限れば飛びぬけた規模を誇る。
この古墳は、江戸時代には天武・持統天皇陵として比定されていた。が幕末期には、野口王墓古墳(現天武・持統天皇陵)と比定は混沌としていた。
そののち明治4年10月に、天武・持統天皇陵と比定。しかし、明治13年に京都栂尾(とがのお)の高山寺で、野口王墓古墳の盗掘された石室の様子を記した『阿不幾乃(あおきの)山陵記』が発見されたことを契機に、明治14年に野口王墓古墳を天武・持統天皇陵とし、丸山古墳は管理を解かれた。
そののち、明治30年に「陵墓伝説地」、昭和初期には「陵墓参考地」とされた。 |
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▽データ |
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所在地 |
橿原市五条野町、見瀬町 |
別名 |
見瀬丸山古墳、丸山古墳 |
治定 |
畝傍陵墓参考地 |
形式 |
前方後円墳 |
石室 |
横穴式石室 |
棺 |
家型石棺(凝灰岩)二基存在
(前棺・6世紀後半、奥棺7世紀前半) |
築造年代 |
6世紀後半〜7世紀前半 |
被葬者 |
欽明天皇説、堅塩姫(きたしひめ)説、蘇我稲目説、宣化天皇説 |
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●参考文献/外池昇著『天皇陵の近代史』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』、網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』
●初書/2007-09-04-IT |
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