明日香村/古墳・陵墓 エリア広域/飛鳥・橿原 蘇我馬子
◆石舞台古墳 ●いしぶたいこふん ●明日香村島庄
もとは一辺55mの方墳で、早くに墳丘の盛土が流出してまい、石室の天井石が水田のなかに露出していた。
1933年(昭和8)の第一次調査と1935年(昭和10)の第二次調査により、石舞台古墳造営に際し、周辺部で破壊された古墳が7基見つかった。本体部分も含めると約20基の古墳が破壊されたことになる。
おそらく群集墳のあったところを大規模に破壊し、丁寧に改葬して石舞台古墳を築いたと思われる。その点を考慮すると、被葬者は当時のかなりの権力者であるといえる。
石室の形態などから、7世紀前半に造営されたものと考えられ、蘇我馬子の桃原墓の可能性がいわれている。
▽データ
所在地 高市郡明日香村島庄
形式 方墳
築造 7世紀前半ごろ
被葬者 蘇我馬子説、蘇我蝦夷説など
石舞台古墳 石舞台古墳 石舞台古墳 石舞台古墳 石舞台古墳
石舞台古墳
●参考文献/網干善教監修『奈良まほろばソムリエ検定』、奈良県歴史学会編『奈良県の歴史散歩』、奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『飛鳥散歩24コース』、河上邦彦著『飛鳥発掘物語』、歴史探訪研究会編『歴史地図本古代日本を訪ねる奈良飛鳥』、明日香村教育委員会文化財課編集『飛鳥の古墳』、朝廣佳子編集『yomiっこ2007年1月号』、網干善教著『古都・飛鳥の発掘』  ●初書/2007-09-03-IT
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