9月10日〜16日まで、この一週間は「自殺予防週間」であるらしい。
交通安全週間とか、防災週間ならまだわかりやすいが、
「自殺予防週間」といっても、何をどうするのか、ちょっと困惑する。
「身近に自殺しそうな人がいれば、助けてあげるとか?」と夫。
聞くところによると、東京の山手線では毎日のように飛込みがあるとか。
他人を巻き添えにしてまで死ぬ人に対して、同情心なんて生まれない。
みんな言葉に出さないだけで、必死で生きているのだから。
政府の人口動態統計特殊報告によると、西暦1990年に自殺者は20088人で、10万人につき16.4人だったのに、2000年には30251人で、10万人につき24.1人、2003年には32109人で、10万人に25.5人とどんどん増えているようだ。
大学生でも3人に1人は心の病にかかっているという話も聞く。
以前、歌手の松山千春さんが言ってた。
「どんな奴だって、そいつのことを誇りに思ったり、大切に思う人が必ず1人はいる。知らないところで『あいつはすごい奴だ』と思われているかもしれない。少なくとも、自分の親は子どものことを世界で誰よりも大切に思っている。だから1人で生きていると思うな」と。
今は親子でさえ信じられない悲惨な事件もあるが、心の中では求め合っているのに、どこかでボタンの掛け違いが生じてしまったのだろう。
死ぬということは勇気がいることだと思う。
死ぬ方法によっては、周到な準備が必要なものもあるし、恐怖に打ち勝たなければならない。
そんなすごい勇気があるなら、どんなことをしてでも生きる方に使えばいい。
死ぬことが簡単だと言うなら・・。
そんなに簡単なら、今死ななくてももうちょっと生きてからでもいいんじゃないか。
私は、以前、危うく即死していたような事故をしたことがある。
そのたった一瞬の間に、スローモーションのようにいろいろなことが頭に浮かび、
人間、簡単に死ぬんだなあと思った。
なのに生かしていただいた。有難くて有難くて涙が出た。
死んだことを思えば、なんだって頑張れると思った。
人間、死のうと思わなくても、明日命を落とすことになるかもしれない。
だったら、毎日を楽しく生きることに全力を傾けよう。
楽しく生きようと思い込んで過ごせば、絶対に絶対にいいことがある。